温泉奇譚
碓氷峠の怪
この話を初めて耳にしたのは、もうかなり昔のこととなる。その後も何度か見かけたので、長いこと語り継がれている話なのだろう。おそらく聞いたことのある人も多いのではないだろうか。温泉とは直接関係ない話なのだが、リゾートに向かう列車での出来事ということで、取り上げてみた。
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長野新幹線の開通に伴い、今はもう廃線となっている旧信越本線。特に横川〜軽井沢間の碓氷線は急勾配の難所で、ドイツのアプト式山岳鉄道を輸入して、明治26年に開業された。開業までにも、いくつもの隧道・橋梁の難工事により、500人余りの犠牲者が出たということだ。まず蒸気機関車で運行を開始した碓氷線だが、大正10年に完全電化されている。第二次世界大戦後、高度経済成長の波が押し寄せ、輸送力不足が深刻化した。昭和38年、粘着式の新線が開通し輸送力の増強が計られ、アプト式は廃止される。この新線も急勾配通過のためには機関車一両では足りず、横川駅で後方に機関車を追加して押し上げるという、他では見られない特異な路線となっている。そして平成9年、新幹線開通により、信越本線は廃止された。以下の話は、粘着式の新線での出来事だと思われる。
月のない夜のことだ。軽井沢へ向かう夜行列車が横川駅に到着した。横川では機関車の連結のため、数分の停車がある。連結が終わるとやがて列車は発車し、後方の機関車に押し上げられながら苦しそうに急勾配を上り始める。街の明かりもなく、外は漆黒の闇だ。軽井沢駅まではいくつものトンネルを抜けるのだが、トンネルの中も灯はなく、反響する音の違いでだけトンネルを抜けたのがわかる。この頃の軽井沢は、夏の避暑シーズンとスキーシーズン以外は閑散としたもので、別荘の住民以外人影もまばらだ。ゆえに、シーズンオフの平日夜中ともなれば乗客は殆どいない。最後尾にある車掌室で車掌がふと顔を上げると、横川まで誰もいなかった車両に、一人の女性が乗っていることに気づいた。はて、横川駅で乗ったのだろうか。女性は前を向いて座っているために顔は見えない。やがて列車は難所を越え、軽井沢駅に近づいた。車掌が再び顔を上げ車内を見ると、先ほどまでいた女性の姿がなくなっている。違う車両に移ったのだろうか。やがて軽井沢駅に到着すると、車掌は乗降する人間に注意したが、先ほどの女性は見つけられなかった。車両全部を点検してみたが、どこにもいない。女性は忽然と現れ、忽然といなくなったようなのだ。実は碓氷峠に現れる女性の話は、以前より乗務員の間で話題になっていた。目撃者は多数いたのである。何故、何のためにこの女性が現れるのか、誰もその理由はわからない…。
【 事 故 】
碓氷線に沿って軽井沢まで延びる国道18号(旧道)は、大雨が降るとよく崩れて通行できなくなる難所として知られている。同じように急勾配を通る碓氷線も事故とは無縁ではない。
- 明治27年〜大正10年:蒸気機関車による登坂では凄まじい煤煙と熱が発生し、特にトンネルの中では窒息失神事故まで発生するなど、乗務員と乗客を苦しめた。そこでトンネルの横川側入口に、煤煙が列車と一緒に流れるのを防止する排煙幕が設置された。各トンネルには隧道番と呼ばれる幕引きが、トンネルの傍らに作られた番舎に家族と一緒に住んでいた。幕引き作業は突風などによる危険も大きく、殉職者がかなり出たそうだ。また、電化が始まったばかりの蒸気併用時代には、電力を供給する第三軌道に触れて感電する事故も起った。
- 明治29年:横川へ向かう列車の下りブレーキが故障し、横川駅まで列車が暴走した。横川の車止めを突破し、機関車が崖下に転落。幸い、死亡者はなかった。
- 明治34年:機関車が故障し、登坂中に列車が退行した。当時の日鉄副社長毛利男爵が令息とともに列車から飛び降りて死亡。技師であった毛利男爵は碓氷線の勾配の怖さを知っており、危機を感じて列車を飛び降りたようだ。なお、列車は機関士の決死の操作により2キロほどで停止することができた。
- 大正7年:横川〜軽井沢の間に、列車すれ違いの為に作られた熊ノ平駅がある。熊ノ平を出発した貨物列車が登坂中にに停止、最発車を試みるも退行を開始、暴走を始めた。列車は熊ノ平駅構内の待避線に突入、脱線転覆した。乗務員と駅員、機関士合わせて4名が死亡、4名が負傷した。
- 昭和25年:熊ノ平駅構内の第10号トンネル出口で大規模な土砂崩れが発生、線路が埋没した。夜を徹しての復旧作業中、翌早朝さらに大規模な土砂崩れが発生、作業中の職員と駅前の職員用宿舎を直撃した。職員38名と宿舎にいた家族12名、合計50名が命を落とした。
- 昭和50年:回送列車が降坂中、ブレーキが利かなくなり暴走を開始。1号トンネル内部で脱線するも暴走を続け、トンネルを出た所でカーブ外側へ飛び出し、転覆した。乗務員3名が脊椎骨折などの重症。
- 番外となるが、廃線後、立ち入り禁止のトンネル内で死亡している男性が発見された。鉄オタが入り込んで、トンネル内の排水溝に転落し死亡したと思われる。
上記の中で、女性が犠牲者に含まれるのは熊ノ平駅の土砂崩れだけのようだ。とすれば、碓氷峠に現れる女性の霊は、この時の犠牲者だろうか? 押しつぶされた官舎の中から乳飲み子を抱きしめたまま死んでいる母親が発見され、熊ノ平駅にはこれをモチーフにした母子像の殉職碑が建立されている。もし、この時の犠牲者であるなら、車両内に現れ事故が起らないよう見守っているのかもしれない。
余談になるが、現在、碓氷線はアプトの道として横川からめがね橋までが遊歩道になっている。めがね橋から先はトンネル崩落の危険があるため、立ち入り禁止だ。熊ノ平駅も、立ち入り禁止区間にある。横川駅は鉄道文化村となり、碓氷峠で活躍した機関車が展示されている。また、国道18号旧道沿いに温泉施設、峠の湯がオープンした。碓氷線復活を望む声が強いことから、鉄道文化村から峠の湯までの2.6キロを復活させ、休日のみトロッコ列車が往復している。ちなみに、横川駅と言えば、峠の釜めしで有名な「おぎのや」。かつては横川駅の機関車連結の為の停車時間を利用し、駅構内で売られた駅弁だ。今では横川駅近くの国道沿いに、ドライブインとして営業している。写真を撮りに行ったついでに、久しぶりに食ってみたら、旨かった。土産として買ってきてもらった冷めたものより、ここで食う方が断然いい。





