2004年8月28日

"片手にのるくらいの遺体を放心状態で見つめていた遺族が、まだあきらめきれないように、「生きている可能性はありませんか」...と問う。"
19年前の夏の夜、実家で見ていたテレビ番組の画面が突然切り替わり、臨時ニュースを流し始めた。その時のことは今でも忘れられません。知り合いが乗っていたわけでもないのですが、そのまま明け方まで、情報に進展なくただ流れる搭乗者名簿を、茫然と眺め続けていました。1985年8月12日、日航機123便の墜落事故です。(ちなみに連れはこの時小学生。)
冒頭の文は「墜落遺体」(講談社)での一節。何故今ごろこの話題かといいますと、続く暑さでちょっと鬱入ってまして、自虐的な嗜好があるのかそういう時は無性に気の滅入る本が読みたくなるんです。で、何故か日航機事故が強く思い出され、前々から読もうと思いながらどうしてか手を出さなかったこの本を今になってやっと買いました。-頭蓋が抜け落ち皮だけになった顔、衝撃で融合してしまった夫婦の遺体、目立つ傷がなく眠ったように見えるしかし頭部だけの幼児。事故発生から年末まで続いた身元確認の現場を淡々と綴った内容です。
この事故では、情報の混乱により救助活動の開始が大幅に遅れ、危機管理体制の貧弱さが露呈されました。事故直後、自衛隊機と在日米軍機により現場の確認がなされながらも、場所の特定が大幅に遅れたのは残念な事態です。(但し、早期に特定できたとして、月のない闇夜の山中で救出活動が行えたかは疑問。米軍であればGPSもあるし夜間山岳での救助活動もできたでしょうが...。ちなみに自衛隊は夜間現場でのヘリからの降下は不可能だったと発表、対照的に米軍は可能としており、実戦訓練の差が感じられます。残念ながら、米軍に援助要請はされませんでした。)しかしそれほど様々な教訓が残されながらも、今日になっても危機管理体制が整備されたとは思えない状況には、もっと国民全体の危機意識が必要だと感じます。
ところで、生存者四名が全て女性だったというのは、ただの偶然とか運だとか、そればかりとは言えない気がします。なんというか、女性の生命力の逞しさ(肉体的にも精神的にも、あるいは運も含めて)を強く感じてしまいますね。
関連書籍
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レポートのページに、中の沢温泉 平澤屋旅館を追加しました。
写真 : 中の沢温泉 平澤屋旅館(混浴 日帰り)